ダブルワーク・トリプルワーク

現状、仕事の時間をもう少し増やすことが可能と思っているのですが、年内の収入・所得制限の関係とマッチする仕事が見つからず。
先日登録したクラウドワークスも案内が来る案件は、条件が悪いか、労働時間が長すぎる。

こりゃ、全然無理だな。どうしたもんか・・・

よく見ると案件のほとんどが50時間以上/月。
いま、この時間を捻出するには、それなりの覚悟と既存の仕事のセーブも必要。

しかし、どの案件もモチベーションがとても上がらない。。。

 初心者歓迎、簡単な作業。

それって

『やっても何も身につかないよね。。。』

という内容なので、他のことしてた方がいいなぁと思ってしまうのです。

ふと考えると、そもそもこの状況で仕事増やせるのか?
よーく考えてみると、これって「ダブルワーク」が現状で、「トリプルワーク」になるんじゃないか?

 主夫+カメラ屋+α

だから、条件が厳しいのは当たり前なのだ。
でも世の中にはよく働く人、いますよね。

んで、ネットでも調べてみたんだけど、
やっぱりトリプルワークする人って、体力的にもすごくて、だけど、単純作業とか夜バイトとかなんだよね。

金銭的に強力な要因があるか、高い志があるか。

今の自分には体力も気力ありません・・・

やりがいのある、内容も伴う仕事をトリプルワークしている人もいるけど、
そういう人は一握りで、人より抜きに出て能力が高い人。

もちろん全部バラバラの仕事ではなく、近い領域でハイパフォーマンスを出していたりするんだけど。。。
そういう人間にもなかなかなれないしなぁ。

なんかただの愚痴っぽくなってきましたが、そもそも難しいことに気づいた。という話。

少年野球ムラ

息子が少年野球をはじめた。
本人の根性も心配だったが、夫婦そろって全く体育会系とは縁遠い家庭なので、そちらの方が余程心配だった。

案の定、予感は的中する。
子どもたちへの、自分たちが少年時代のような理不尽な厳しさはないが、この組織は非常に独特で異様なルールをいくつも持っていた。
ざっくり要点をまとめてみる。

1.強烈な男女分業
父親・母親と、明確に役割が分かれている。
父親と母親の役割が一部の家庭で多少重なる家庭はあるが。
連絡経路すら、全く別々の体系である。
これは少年野球の世界なら当然なのかもしれませんが、他の習い事でこのような経験はない。
あくまで「保護者」として関わることができるのだが、このムラでは困難を極める。
はっきり言って片親、またはほぼワンオペの家庭には参加は不可能に近い。
我が家のように夫婦逆転で生活しているだけでも不都合なことが多々出てくる。

2.親まで縦社会
体育会系なんだから縦社会に決まっているだろう?
というかもしれない。しかし、今の若い世代相手にこんな対応自分は取らない。
子どもの年齢だったり、親の年齢だったり。まぁ色々な基準がチームによってあるようだが、
一般的な習い事の感覚で行くと、なぜ上下関係があるのか?
子どもの親でしかないのだから、そこは横だろう?と思う。
自分より先に入っているので、下手に出て丁寧に接していますが、
社会的マナーを欠いて随分上から見下ろされるのは気分が悪い。
ちなみに子ども達は学年に関係なく、上下なく楽しんでいる。

3.フィードバックなしのトップダウン
殆どのことは幹部で決まる。幹部だけで決まる。
決まったことを伝達されるだけで、結果をフィードバックすることもない。
意見を言う間も殆どない。子どもの手前言えない面もある。
これほどまでに一方的に子どもを指導する。という立場をとるのは「ボランティア」で長年続いてるから?
全く無神経というわけではなく、気を使っていただいているのもわかる。
だけど、これほどまで一方的に、伝達だけ降りてくるという仕組みに違和感がありすぎて・・・
何かを運営する時、これほどメンバーや関係者の声を聴かずに続けることに、恐怖心はないのだろうか?と思う。

4.少年野球としか比べない
チームの話になっても常に「他の少年野球チーム」との比較である。
たまに「クラブチーム?」と比べることもあるが、それは金銭的な面や技術レベルなどの話。
運用に関しては全く参考にはしない。
サッカーでもテニスでも、なんでもいいから他の習い事やスポーツ、楽しみと比較してみてはどうだろうか?
残念ながらそういう話を全く聞いたことがない。
我が家では数あるスポーツや習い事、趣味のなかの一つでしかない。
「野球」である必要は全くないので、この状況が残念である。


野球が不人気なのはなぜか?という話があっても、核心には突っ込まない。
個人的には野球は道具や場所のハードルが高いし、ルールや動きも難しい。
そのうえ、野球を単純に楽しみたい。と思っても肝心な子どもより、親にとってのハードルばかりが話題になる。
これでは人気が低迷していくに決まっていると思う。

私は「うちのチームの勧誘をしてくれ」と言われたら
きっぱりと「ノー」と言うだろう。
この世界で胸を張って自分のチームをお勧めできる関係者がどれだけいるだろうか?
しっかり親の負担を説明しても、なおかつ平然と「やりましょう」と言えるだろうか?

意外と老害があることにも驚いた。
とっくに子どもが成人していそうな人が突然やってきて、あれやこれや言っていく。
代表の大人たちも持ち上げる。なんかすごい異様な光景だ。
そりゃ長年続くチームに貢献して、過去は尽力されていたと思うのですが、
今のチームの運営に口をはさんだりするのはどうなのか?
その他の親や子どもにすれば「あんた誰?」というレベルである。

う〜ん、なんとも不思議なムラで、ちょっと外と比べれば色々な気づきがあると思うのですが。
ムラごとどうこうしようなんてモチベーションなど、とても出ません。

クラウドワークスに登録してみた

個人としての仕事がなくなってしまい、
バイトの年間収入も中途半端になっている今。
労働時間をセーブして、やることを模索中。

個人として仕事を受けられるのがベストですが、具体的な手段が思いつかないので、
まずはクラウドワークスという、クラウドソーシングサービスに登録してみました。

要するに、ネット経由でフリーで受けられる仕事を探してみよう。という試み。

登録費用は無料。
仕事の検索は出来るようになりますが、プロフィールを設定しないかぎり、
仕事を受ける際には不利になるでしょう。

そこで、久しぶりに業務経歴書を書くような気分で、プロフィールを設定してみる。
ある程度入力・設定が簡単にできるようになっていますが、
改めて一から設定していくのはなかなか骨が折れる作業。
これが一つのハードルになって利用者の質の向上には役になっているでしょう。

初日は登録するだけで精一杯。
ざっと検索するも、マッチするような仕事は見つからず。
そりゃ簡単に見つかるわけないけど。

そして、登録して数時間のうちに、仕事の案内メールが届き始める。。。
プロフィールを設定したけど、いったい何の仕事を案内するのさ・・・??


と思ったら、

・誰にでもできる仕事
・利用者を逆に客として狙っている仕事

が殆どです。
例えば、「xxについて書いてください」という内容で、報酬は恐ろしいほど低いです。
また「xxについて答えてください」という内容で、1件100円で個人情報を収集ているのか?
という感じ。

最初から結構頻繁にメールが届くのですが、
殆どが誰でもいい、あまり生産的ではない内容なので、3日ほどでメール配信はストップ。

少し時間が出来たので調べてみると、
やっぱりクラウドワークスをはじめ、こういうサイトの抱える問題として
低い単価の仕事(単純作業)が多く、高単価(専門性)の仕事は少ないようです。

まぁ、そんなにうまくはいきませんね。

書くことを再開してみよう。リハビリ

気づけば1年以上更新していませんでした。

書けることはいくらでもあったのですが、こちらに書くモチベーションがなかった。
一言で言えばそんなところ。

それでも再び書いてみるのは、

「焦り」

が一番の要因かな。

二人の子どもが学校に行きはじめ、今まで仕事をする時間をセーブしていたのが、少し持て余してきた。バイト先でも扶養から外れるのラインで仕事を減らし、バイトを優先して個人としての仕事もすっかりなくなってしまったので、稼ぐ力がない。

このままではいかんぞ・・・

と思うも、仕事が見つからない、作れない。

個人として仕事をもらえると一番助かるのですが、どう動けばいいのか。
営業経験も全くないし、フリーで働く世界というのはまだまだ未熟な世界と思います。

とりあえず、先日は商工会議所に行ってみた。
相談してみると、

「需要はあると思うけど、具体的な案件はない。
自分の強みをどう売り込むかが問題ではないでしょうか?」

と、アドバイスいただきました。
最もな話で、予想通りですが、こういうことをすると頭が整理されてすっきりしますね。

職歴を振り返ると、こんな感じ。

3年:ソフトウェア開発(独立系)
7年:貿易商社 社内SE
2年:社会起業家を目指し、市民活動&主夫
2年半:ビンテージカメラショップのバイト&主夫

なかなか滅茶苦茶ですね。

この15年ばかしで培ったものは何か?

一番は「業務改善、システム化」といった感じ。
次に市民活動〜カメラショップでネット周りの事。
店舗運営に関しても小規模ながら、かなり色々なことを学ばせてもらいました。

医療系の知識は仕事としては使っていくのはしんどいかな。
そして少々、イベント企画やらファシリテーションのこと。
人前で話す訓練もしましたが、これは一番厳しいかな(苦笑

あと美味しいコーヒーを淹れる技術もだいぶ上がりました。
総じて浅く広く。トンガリが足りない気がしますが、これでも何かのお役に立てればと思います。

「変な子」がいたら?

近所の公園で遊んでいると、3〜5歳ぐらいの女の子グループに10歳以上と思われる男の子が混ざってきて、一緒に遊びはじめました。大人の目線でいえば「絡んできている」という表現になるでしょう。
少し乱暴なところもあり、見ている方は気が気ではない。

止む無く、その子の親たちは、子どもを連れてほかの場所に行ったり、帰宅して解散となりました。

この話を聞いて、どうすればよかったのか。

その男の子に悪意はない。ただ、おそらく何らかの問題(障がい)がある子だったと思う。
(以前に自分も接してそう感じた。もちろん確認は取れていない)

その子がいることで小さな子が公園で遊べないのであれば、それは問題である。

しかし、その少年が公園で遊ぶことはいけないのか?
少年が他の子どもに迷惑にならないよう、親は躾けて付き添わないといけないのか?

非常に難しい問題だと思った。


ただ、言えることは自分をはじめ、

 こういった子どものことを知らない、対応がわからない。

それが問題の根本なんだと思う。

私自身、幼少時代からそういった子が身近にいた記憶がない。
でもそれは社会的に隔離されているだけで、多く存在していることを今は知っている。

そしてそういう親の子は非常に苦労している。子どもだけではなく家庭として様々な問題を抱えている。
ということを聞いている。

そう思うと、この子もどうにか一緒に遊べないかと思うし、
私自身も自然に対応することができればいいと思う。

でも以前一緒に遊んだ私も、対応に迷った・困った覚えがある。


そんな自分が人のことは言えないが、あの少年が「変な子」呼ばわりされ、白い眼を向けられるのなら、

 「変な子」

とはどういう子のことを言うのだろうか。

うちの子は二人とも変な子ではないだろうか?
そう言っているあなたのうちの子どもも変な子じゃないだろうか??

しかし、

見たことのない子、対応したことのない、対応できない子を「変な子」と言ってはいけないのか?


「変じゃない普通の子」を育てることが良いことなのか?

答えはないのだけど、知ること、見ることが必要なんだろうなと感じます。

自分は多少ケガしても子どもの喧嘩には入らないし、そういう年上の子がいても、どうコミュニケーションを取るか。見守れる範囲で口は出さない。
子どもが「助けて」と言えば、もちろん助けるが、そういうわけでもない。それなら子ども同士が遊んでいるうちは見守るかな。

とりとめもない内容でした。

授業参観って楽しいの?

先日子どもの授業参観に行ってきました。

父親の参加率は1割未満。
もっと父親に参加してほしい・・・というのは簡単なこと。
ここはあえて逆転の発想で考えてみましょう。

そもそも、授業参観が父親にとっておもしろいのか?
ということです。

私は父親がもっと多ければいいなぁ。と思いますし、授業参観はおもしろいです。

しかし、全ての父親にとって授業参観はおもしろいのか?

もし

 「授業参観なんておもしろくない!会社を休むほどのものではない!!」

ということであれば、それは当然、参加する必要はないと思います。

 「授業参観に行く父親=えらい!」

みたいな風潮もありますが、えらいと言われたいから行く人はまずいないでしょう。

 「子どもが喜ぶから」

というのもあるかもしれませんが、それよりは純粋に

 「子どもが授業を受ける姿を見てみたい」

と、思って参加する父親が多いのではないでしょうか。

授業参観に行ってみると、母親より、父親のほうが真剣に子どもをみています。

 「そりゃ、普段見てないからね!」

という皮肉の一つも言いたくなる人もあるかもしれませんが、
父親には、少し違う視点があるのだと思います。

私の場合。
子どもたちの不規則な自由奔放な発言をどう先生はかわすのか?
そして全体をどうまとめて進行するのか?

というファシリテーターとしての役割も一つの見どころだったりします。

もちろん、

 「普段内弁慶な子どもが、授業中にどんな顔をしているのか」

は、興味津々で見守っております。

そこでお父様方にいいたいのは、まず

 「行ってみたいか考えてみたください」

ということです。

「行けるかどうか」

1か月前から「そりゃ無理だ、仕事だ」と決めつける前に、何の前提もなしに

「行ってみたい(みてみたい)」

か、考えてみてください。
その結果、

「別にいいや」

というのであれば、それでよいと思います。
もし、

「少し気になるな」

と思ったら、そこに向けて、仕事を調整してみてください。「無理!」という前に。
前述のように、授業参観を楽しんでいるのは、意外と「父親」のほうです。

凡人コンプレックスのフツメン。

FJ10周年フォーラムに行ってまいりました。

田中 俊之(たなか・としゆき)博士(社会学)の基調講演やFJの錚々たるメンバーの話を聞いて、
もやもやしていた自分の悩みのも少しすっきりしました。

私の生き方を今回聞いた話からまとめさせていただくと、

「フツメンが合理的に逆張りをすることに家族から消極的寛容によって認められてきた」

ということだと思います。

私には「凡人」というコンプレックスがあり、だから努力しないといけない。
そしてそれが苦にならない部分があります。
凡人なので、普通の人と同じことをしててはいけません。
逆張りです。

当日のパネルディスカッションのFJメンバーの発言ですが、

「能動的に動かないと楽しくはならない」

「楽しいかどうかが判断基準」

私も、多くのことを「楽しいか」という基準で「能動的」に判断することを大事にしています。
こういった考えをする人は周りに多く、自分もそうある方がいい。
そう思って行動してきたのですが、これは一種の「ファーザーリング中毒」であり、多くの人はそうではないようです。

しかし、例えそれが中毒だったとしても。

ほぼ定時に帰れて平均より年収のある仕事をやめてしまうこと

これは至極合理的な選択です。
この選択のおかげで、今まで使うことすらなかった能力や交わることのないネットワーク、未開の地に踏み込みました。
また人生の楽しみ増え、生き方、モノの見方も変わり、見えないものも見えるようになりました。


本来私のようなフツメン(普通のメンズ)は楽しい・やりたいと思ってもできない。
またはそう思いもしない。
世間でいう「働きながら家事も育児も」のイクメンはスーパーマンであり、
多くの人は「働くだけで無理です」というフツメンです。

なのにこんな「逆張り」をして「合理的」とはいえ、背伸びをして生きていると、つらいことも盛りだくさんです。

しかも、「自分にとっては」合理的だったということがポイントです。

私がこの道を選択したことに、家族の寛容さを認める意見を多々もらいますが、
これは「消極的寛容」であります。

私が家族のことも考え、家族の幸せも考えた選択でしたので、「積極的寛容」と勘違いしていました。

スタートと同時に、夫婦お互いの変化に対応きれず、バランスは崩壊。

その結果、私「いいパパ」になることはできたとしても、「いい夫」とはかけ離れたものでした。
完全に子どもたちには「悪いパートナシップ」のお手本になっております。

育児は終わる

この言葉も、この数か月考えていることです。
終わった後、どうするんだろうか。今後どうすればいいのだろうか?
(定年が近づいた親父のようですが(苦笑))

また、FJのメンバーのお言葉をお借りすると、

育児はやりきった。もういいよ。

今は、これかなと思いました。
「やりきった」と思えるぐらい、育児したいな。
子どもが大きくなって、後悔ばかり言ってる父親になりたくない。
これだけは確かなことだと。

育児が終わったらどう思うかな。
自分主体の時間が来たときに。


FJ10周年フォーラム行ってよかった。