人類に完全な安心は存在せず、不安は残り続けるのが安心。
早朝読書会に誘われたので、家にある本でどれが薦められるか・・・
と考えて再びこの本を手に取りました。
安全。でも、安心できない…―信頼をめぐる心理学 (ちくま新書)中谷内 一也 (著)
多くの自治体が「安心・安全」という言葉を使っていますが、地元流山市にも
流山おおたかの森安心安全まちづくり協議会
といものがあり、安心安全をうたっています。
私が以前、この本を手にした理由は
「安心っていくらでもお金かけられるな」
と思ったからです。
原発事故の際には顕著にそのことを感じました。
過去エントリー)
「安心」とは心理的なもので、個人差があります。
全ての人の安心を確保すること。これは際限がなく無理です。
むしろ「不安」を消し去る必要はありません。
人間は不安によって安全を確保し、生き抜いてきました。
そして
安全が揺らぐとき。それはすべての人間が安心している時です。
いくら「安全です」と言っても、どうにも納得できない。安心できず不安だ。
農薬や食品添加物などさまざまな人工化学物質があふれて体内によくないものが取り込まれている。
医療崩壊という言葉が現実的なものとして響き、社会が不健康になっていく。
現在、畑で使われる農薬は殆ど分解され、出荷される野菜には残らないそうです。
以前と比べて私たちが受けられる医療の質が下がったでしょうか?
そして平均寿命はのび、健康と医療の関係性は薄いことはわかっています。
端的に表せば「なぜ豊かな先進国において、こんなに不安があふれているのか」
私たちは一方でリスクを過大評価し、一方で過小評価しています。
しかし、「安全」の確保には、安心について敏感な人、リスクを「過大評価」する人がいるからこそ、保たれている安全があります。
安全は感情で考えてはいけない。=「安心」は無視していい
とした場合、そこには新たなリスクが発生する可能性があります。
そして人々とをかえって合理的なリスク管理へ導くことが難しくなります。
不安を消し去ること、完全な安心は不可能です。
安心には「安全である」ことだけでは足りないのです。
「安全」は「安心」の一要素にすぎませんが、
「安全」にも「安心」は無視してはいけない要素なのです。